気まぐれ日記 02年12月

02年11月の分はここ

12月1日(日)「毎度バカバカしいお笑いを一席・・・の風さん」
 今年もあと1ヶ月である。まさか新作にこれほど苦労するとは、年初には想像もできなかった。それだけ甘い。プロ失格ですね。でも、最後まで諦めずにやりますよ。
 ということで、愚痴にならないように、執筆の話はやめて、と。
 アットランダムに書いておこう。
 先週のある日、契約もしていない中日スポーツが朝刊とともに入っていた。こういう場合、勝手にサービスと判断して読んでしまう。面白かったのは、紅白歌合戦出場者の紹介。グループ以外、年齢が書かれてあったこと。白組。13人の年齢が判明。そのうち11人が50歳以上であった。女性も、それなりに高年齢化していた。社会人になってからほとんどテレビを見なくなってしまったので、自然と紅白歌合戦も見なくなってしまった。昔の記憶をたどると、画面で見る人たちは皆自分より年上だが、なんとなく若い歌手が多かったような気がする。それが、今はなんということ! 視聴者である私と共に年取ってしまったということか!
 先週末の話。ワイフと次女があるホームセンターへ買い物に行ったら、「もらってください」という意味で、子猫が2匹ダンボールに入れられて置いてあった(先々週は4匹で、1週間で2匹に減ったとのこと。毎日飼い主が持ち帰っているとのこと)。あまりの可愛さについもらいたくなり、執筆中のわたしのケータイまで電話がかかってきた。聞けば、恐ろしく可愛い子猫の様子。私だって見たら欲しくなる。そこを心を鬼にして、「やめなさい」と伝えてしまった。なぜ心を鬼にできたかと言うと、本当に可愛らしそうな子猫だったからだ。一匹は真っ白でもう一匹は真っ黒とのこと。尻尾もまっ直ぐで欠点なし。黒猫は眼も青色らしく、高貴な感じ。どちらもまだ手のひらに乗りそうなぐらいの小ささとかで、これなら貰い手はいるに決まっている。もし、これが捨て猫で、雨に打たれて死にそうだったら、絶対に拾って来させる。とにかく、うちにはシルバーがいるのだから、シルバーとの確執が起きるのは目に見えている。
 ところで、真っ白と真っ黒の猫といえば、こんなブランドがあったな。silvia & silvester
うちのシルバーは、色が銀色というか灰色なので、この名前だ。そうすると、もし、あの2匹をもらってきて、シルビアとシルベスターという名前をつけていたら、どうなっていたろうか。白と灰と黒の3色がそろったのは良いとして、名前がシルビア、シルバー、シルベスターだったら・・・。あははは。ややこしい!

12月2日(月)「PTAの夜の巻」
 さあ執筆するぞ、と勢い込んで帰宅し、メールチェックしたら、PTAの関係の連絡が来ていた。「ファックス届きましたか?」という内容だった。そうだった! 今日は、PTAの仕事があったのだ。さっそくファックス機を見てみると、ぐるぐるに丸まったファックスが入っていた。それから地区の区長へ電話したり、印刷所へメールを送ったりと、大慌てで用事を済ませ、あっと思ったら、もう9時である。そこで少し冷静に考えてみると、印刷所へ送ったメールは鳴海風の名前で出してしまったことに気が付いた。こりゃヤバイってんで、本名で出し直し、ついでに正体を初めてばらした。
 その後、既執筆分の見直しを1時間やってから入浴し、さらに参考史料を少し読んでいるうちに、今日はもう限界だと判断し、就寝した。明日も、朝が早い。

12月3日(火)地球環境にうるさい風さんが落第の巻」
 会社の仕事は趣味なのだが、最近キレて困っている。今日も、朝から不調であった。結局、午前中いっぱい仕事が詰まって、出張へ出発するのが遅れた。昼食後に出発した。
 名古屋駅近くで私用をひとつして、伏見の近くで、知り合いが勤めているT工務店の作品展示会を覗いた。毎年この時期に開催している一種の文化祭みたいなものだが、とても楽しみにしている。今年のテーマは「いどむ(挑む)」で、建築家たちの思い思いの「いどむ」が様々のオブジェとなって陳列されていた。今年はユーモラスな作品が多かったような気がする。トレイにどんぐりがびっしりと並べられていて、タイトルが「せ・い・く・ら・べ」とか、金網の入れ物からミズゴケみたいなのが飛び出ているのが「田中耕一さん」とか、ネズミ捕り機の中にコンピュータのマウスが入っていて「新しいお店はじめました」とか、ね。不況の世の中だが、笑いで吹き飛ばせということかもしれない。知り合いの作品は例年通り手が込んでいた。
 某ホテルのカフェ・レストランで休憩後、栄方面へ徒歩で向かい、ナディア・パークというところで開催されているIMS(インバース・マニュファクチャリング・システム)地球環境保護関係の生産システム研究発表会に参加し、会社の後輩の発表を聴いた。発表も報告内容もずば抜けた出来で、かつて少し指導したことのある私は、とても満足しうれしかった。
 帰りに環境クイズというのをやっていたので、挑戦してみたら、10問中4問しか正解できなかった。地球環境にうるさい風さんだが、落第だね、こりゃ。

12月4日(水)「愛しているぜ、ミッシェルの巻」
 夕べは早めに寝て睡眠不足ではないはずなのに、朝から頭が痛い。外は雨だ。秋の雨はなぜか小学校のころを思い出す。一人で家で遊ぶことが多く、窓から外を眺めたときの風景がやけに雨が多かったのかもしれない。
 ミッシェルのおかげで通勤は楽だし楽しい。3ヶ月で5000キロを超えた。OmO教授のロードスターの走行距離をいつごろ抜き去るだろうか。
 仕事は毎日忙しいが、どう考えても会社の利益に直接つながることをやっていない。大企業のつまらぬ歯車になりかかっている。そろそろ年貢の納め時で、少なくとも後輩たちへ良い影響を残したい。
 午後、45歳以上の社員を対象にした「自動車運転適性検査」といったものがあった。動体視力の検査をした後、画面を見ながら、動くものを正確に追えるかどうか、信号や音に対して、手足が正確に反応するかどうか、左右異なった動きに対してバランスをとりながら操作する能力があるかどうか、まるでテレビゲームのような試験であった。確かに、子供らなら、抜群の成績を上げるだろうが、中年から初老となってくると、苦手に決まっている。案の定、思い通りに手足が動かず、がっくりして試験結果とアドバイスを待った。すると、驚くべきことに、「とても良い成績ですよ。動体視力はお疲れのようだから悪いですけど、それ以外は、全く問題ありません。普段でも慎重な運転をなさっているのでしょう。よく分かりますよ」と褒められたのである。なんだ、この試験はひどい結果を出させて、反省させ、より安全運転に導くものではなかったのか。後で、他の受講者何人かに聞いていみると、皆、ひどい結果であった。意外にも、ミッシェルでぶっ飛ばしている風さんは、慎重ドライバーだったのだ。・・・というか、反射神経は標準以上だった。これからもミッシェルを愛してやろう。
 昨日の研究発表会で発表した後輩が、最優秀賞を受賞したという、ビッグニュースが飛び込んできた。うれしかった。
 
12月5日(木)「愛するミッシェルとしばらくお別れの巻」
 昨夜は、朝からの頭痛に耐えられず、晩御飯の後、痛み止めを飲んで少し仮眠したら頭痛がおさまった。
 そこから執筆に着手して、就寝したのは今朝の5時である。
 当然普通に出社して(これが普通と言えるかどうかは賢明なる読者の判断にお任せするが)、午前中は3つのスケジュールをこなし、昼食後、隣県の工場へミッシェルで出張した。そこで2時間ほど仕事して、まっすぐ帰宅することにした。
 不運は、明日の通勤に耐えられるだけガソリンが残りそうもなかったことから始まった。
 有料道路を自宅近くのインターまで走らずに、給油のため、途中のインターで降りた。
 行きつけのガソリンスタンドがもうすぐ、というところで、渋滞の最後尾につこうと停車しかかったら、後ろからゴッツンと追突された。後頭部が激しくシートのヘッドレストに当たった。瞬間、私の脳裏をよぎったのは「ああ〜。貴重な時間がつぶれる〜」であった。
 体の点検をして大丈夫そうだったので、車を降りて、後続の(追突してきた)ドライバーと接触した。「前を見てなかったんでしょう?」と言ったら、「はい」と素直に認めたので、ひと安心。車を道路わきへ寄せて、すぐに警察へ電話した。調書をとってもらい、これで公式に事故の記録が残ったので(とりあえずは物損事故)、あとは保険会社が処置することになる。(事件の顛末の詳細は省かせていただきます)
 当方に過失はないとしても、事故が起きたという事実は事実なので、これは厳粛に受け止めている。昨日の「運転適性検査」の成績が優秀だろうと、そんなことは関係ない。被害事故を含めて、交通事故に関係しない運転を心がけることこそ、真の優秀ドライバーだと私は思っている。また、そういうドライバーこそ、カッコいい車に乗る資格があるのであり、自分の車に「ミッシェル」とか名付ける資格もあるのだと思う。
 明日、ミッシェルを修理に出せば、1週間はミッシェルなしになるだろう。悲しい限りである。

12月6日(金)「風邪であえなくダウン・・・の風さん」
 事故のショックと疲労から立ち直るため仮眠し、その後、執筆して就寝したのは今朝の5時半である。
 出勤前にミッシェルの修理を頼みに中古車屋に寄った。被害状況を確認しているときに、トランクにキーを挿入したら難なく開いたので、ここは異常なしかと思ったら、トランクが閉まらなくなった。トランクのフタとボデーの間に破片が挟まっていたので、これは相手の車の破片ですよ、と得意げに説明しながらよく見ると、ミッシェルのブレーキランプの破片だった。
 出社したが、どうにも体調が悪い。昨夜、事故の現場でずっと立っていたので、寒さで風邪をひいたらしい。
 事故の法的解釈はもうどうでもよく、なぜ安全運転を心がける自分が事故に遭ったか、そればかり考えていた。ようやくひとつの発見があった。それは加速性能の違いだった。もう10年ぐらい加速の悪い車を運転していた。マスターエースもエスティマもディーゼル車だった。加速性能が劣る車を運転していると、後方から車間を詰められたり、あおられたりすることがある。そういう場合、道を譲ったり、ブレーキランプが何度も点灯するようにブレーキを踏むように心がけていた。本当である。つまり、自分の神経を後方へもかなりの比率配分しながら運転していたのだ。
 ところが、ミッシェルになってから状況は一変した。加速性能はたいていこちらの方が上である。そうなると、前方への対処が重要になるから、自然と後方への注意は低下する。その証拠に、昨夜も、追突されるまで、後方の車の記憶がないのだ。車の運動性能の変化を認識した上で、前後左右への注意をしなければならなかった。
 昼食後、風邪薬を飲んだ。どんどん体調が悪化していった。
 先方の保険会社からケータイに電話があり、すべて支払わせていただきます、との連絡。
 中間原稿を出す大事な時期に、最悪の事態となった。
 中古車屋が手配してくれたレンタカーに乗り、早めに帰宅して(途中コンビニでホットレモンを買って飲んだ)、生卵を1個飲み、ちゃんと夕食をとった後、飛び込むようにベッドイン。

12月7日(土)「やはり化け物にはなれない・・・の風さん」
 午前3時半に目が覚め、ヨーグルト、りんご、牛乳、パンを食べ、薬を飲んでまた寝た。
 次に、7時半に起床し、入浴してさっぱりした後、朝鮮人参とパンの朝食(?)をとったが、イマイチ不快なので、風邪薬を飲んでまた寝た。
 午前11時半にトイレに行きたくなって起きた。まだ、すっきりしない。ビタミン剤を飲んでまた寝た。
 午後2時に目覚め、昼食を食べ、風邪薬を飲んでまた寝た。
 風邪の原因は事故の夜の寒さだろうが、その前からの無理による体力低下も遠因に違いない。とにかくよく眠れる。風邪のときは自分の体力が最大の治療薬になるので、いつも安静にしている(つまり睡眠をよくとる)し、同時に栄養(精力のつくものとビタミン類)や水分そして薬を積極的に摂取する。幸い内臓はやられていないので、こういうときは早く回復するものだ。
 夕方から睡眠が浅くなった。直ってきた兆候である。
 階下へ降りて、生卵1個を飲み、蜜柑を1個食べ、コーヒーを飲んで、二日ぶりに書斎へ入った。
 明日の夜にはまた中間原稿を印刷して発送しなければならない。今からどれだけやれるか分からないが、やれるだけやるつもりだ。
 化け物を目指している風さんだが、やはり普通の体、並みの体力の持ち主だった。

12月8日(日)「今回は中途半端で悔しい風さんの巻」
 昨夜はさすがに病み上がりで、アクセル全開とは行かなかった。0時前におとなしく寝たら、今朝もしっかり寝坊で、9時過ぎにようやく起床できた。これが化け物でない普通の人間の生活かもしれない。
 いちおうやりかけの節を少しでも進めておこうと頑張り、結構ピッチも上がったのだが、この節は終了できなかった。と言いながら、実は、10日締め切りの『大衆文芸』用の随筆の原稿ができていなかったので、同時並行でこちらもやっていた。それは何とか格好がついたが、ああ〜! 本命の長編の方が中途半端だ。気に入らない。
 それでも、時間がきたので諦めて、8時過ぎからプリントアウトに入った。今回は印刷書式の密度を上げたので、全部で300枚ちょっとである。原稿用紙なら800枚は超えている。あと、随筆もプリントアウトして、それぞれの手紙を書いて、随筆は速達、長編は宅急便の荷造りをした。すべて駆け足でやったので、0時前に寝ることができた。

12月9日(月)「ひたすら身辺整理の1日・・・の風さん」
 6時に起床して、ミッシェルがドック入りしているので、代車のレンタカー(カローラ)でおとなしく出社。
 風邪が治りきっていないので、鼻がぐずぐずいっているし、喉も痛い。声が変だ。頭もボーッとしている、あ、こりゃ、いつものことか。仕事をバリバリやるだけの精力がないので、今日はおとなしく仕事した(どういう意味か本人も不明)。しかし、逆にじっくりできた面もある。難しい技術を時間をかけて教えてもらったし、全然関係ないけど、机の周囲のゴミをたくさん捨てた(この取り合わせは妙だな。今日は頭も変だ)。いったい今日は、1日に何個ののど飴をなめたことだろう。・・・どうも今日の散文は詩的だ・・・じゃなくて、今日の日記はとりとめがない。
 帰りに、またコンビニでホットレモンを買って飲んだ。
 今日は執筆は休みにして、身辺の雑用をかなり片付けた。明日から、また執筆復活の予定。

12月10日(火)「寒い朝・・・の風さん」
 夕べは猛烈に身辺整理をしたので、それほど早くは就寝できなかった。
 目覚めたら、寒い朝だった。
 どうも代車のカローラは刺激がない。ミッシェルが恋しい。やはり俺はあいつに惚れている。
 風邪はかなり良くなってきているが、時間とともに疲労を感じる。それでも、今日は、なんとか仕事をこなしたな。
 日曜日の午後、NHKで円周率の計算で有名な東大の金田先生が登場して、1兆ケタ以上計算したと放映されたことを昨日聞いたのだが、見そこなったし、新聞の番組欄でも確認できなかった。それを今日、再び、社内の知人に話したのだが、間違いないという。何とかして、どんな番組内容だったか知りたい。今度は、ホームページで確かめてみる。
 夕方、出版社へ電話して、原稿が届いたことを確認しつつ、来週の打合せをどうするか相談した。やはり、最後まで書き上げていないので、打合せは年明けに延期することにした。あと1ヶ月、猛スピードで執筆をしなければならない。厳しいが、今度こそ、タイムリミットである。いっそ最後から書いてみるか。
 あ、そうだ。昨日、新鷹会の松岡弘一さんから新刊を送ってもらった。『精神寄性獣』である。すごいタイトルだが、出版社は学研すなわち学習研究社である。学研もとんでもない新書(ノベルス)を出すんだなあ。読んでみたいけど、余裕がない。

12月11日(水)「いけない番組・・・の風さん」
 猛烈に会社の仕事が忙しくなっている。執筆も大ピンチであり、こういうときはすべてのことを高速というか光速で処理しないと、うまくいかない。
 夕べは少し本を読んで早寝し、今朝は5時半に起床した。まだ雑用が多く、執筆はできなかったが、エクセルの年表を少し整理していたら、エラーが出て強制終了させられてしまった。そこで、タイムアップ。
 出社して、次々に業務を処理。昼休みにも、来週の上京時の打合せ延期によるスケジュール変更のため、ケータイを使って、予約してある新幹線の列車変更をしたし、CDからお金をおろしたし、国会図書館の会員申請のための申し込み用紙を書いたりした。こうなると、昼休みに食事している時間も惜しくなってくる。これから、昼食を抜くか、あるいはパンでもかじりながら雑用をするしかないような気がしてくる。
 てな調子で突っ走ったのだが、会社の業務は終わらない。定時後になっても、さっぱり終わらない。とうとう9時近くまで仕事してしまい、それでも終わらないので、後を部下にお願いして退社した(悪い上司だな、まったく)。
 帰宅して、ちゃちゃっと夕食を摂り、入浴を簡単に済ませたまでは良かったが、「ビールでも飲む?」とワイフとグラスを傾けたところから歯車が狂った。地元のケーブル・テレビが、無理やり3ヶ月間無料のコンバータを取り付けていったという。いけない有料放送もすべて3ヶ月は無料だという。どうせ観ている余裕はないが、それなら、ビデオでも撮っちゃえ、とワイフと相談。しかし、ビデオデッキと配線はされていないという。例の赤・白・黄色のコードね。家庭では歩く電器屋さんとも呼ばれている風さんなので、部品類は買ってこなくてもいくらでもある。すぐに配線完了した。と、ところが、取扱方法の説明を聞いたはずのワイフが操作を思い出さない。取扱説明書もないのである。結局、いろいろやってみたが、さっぱり操作が分からない。気の短い風さんは、怒り出して、寝室へ直行した(だって、もう就寝時間になってしまったのだ)。
 というわけで、1日の終わりになって、突然、調子が狂った。ビール、そしていけない番組のビデオを撮ろうなんて、はしたない気持ちを起こしたからだ。・・・でも、操作方法は知りたい(まだ言っている)。

12月12日(木)「円周率の計算、5年ぶりに新記録達成の巻」
 私のデビュー作『円周率を計算した男』の冒頭に、T大学大型計算機センターのK助教授が・・・という件(くだり)がある。この方は実在の人物で、現在は東京大学情報基盤センター教授の金田(かなだ)康正先生である。
 実は、12月6日に先生は何度目かの円周率計算世界新記録を達成され(ニュースはここ)、12月8日にテレビにも登場された。ところが、普段テレビを観ない私は、後で会社の同僚からそれを聞いて、悔しい思いをしたのだった。幸い、インターネットで調べたら、いくつかの記事を発見でき、さらに先生の研究室のホームページが出来ていることも知ったのだった。(なんと、私のホームページよりもアクセスカウンターが進んでいた)さっそく今回の1兆2411億桁達成のお祝いをメールで送ったところ、すぐに返信メールがあった。遅くまで先生は研究室でお仕事をされていたわけだ。さらに、今回もまた、努力していれば報われる、と励ましのメッセージを頂戴した。ありがたいことである。

12月13日(金)「13日の金曜日の巻」
 13日の金曜日である(が仏滅ではない)。
 ミッシェルの修理は完了していない。早くても来週の火曜日だそうだ。後部ボデーには亀裂が入っていたし、左後側面はつぶれていたので、ボデーの板金が大変である。修理が完了しても、高速でまっすぐ走れるか、ちょっと心配。
 今週は決して余裕があるわけではないが、とりあえず中間原稿を出した週なので、床屋へ行ったり、トレーニングに行ったり、年賀状も印刷しておこうと計画していたが、ほとんどできていない。今夜はある人の送別会があったのだけれど、それを失礼して私用をこなそうと思っていたのに、結局、残業してしまった。でも、仕事は完結しなかった。帰宅がまた遅くなった。
 せめて年賀状だけでも、と思い、住所録を印刷し、前年の実績や欠礼を考慮して、今年の印刷枚数を調べてみた。我が家は全員、毎年、年賀状の枚数が増えている。それで、購入枚数を少しずつ増加させているのだが、今日時点で、早くも不足が明白になった。また、買い足しておかなければならない。
 ああ。また就寝が遅くなってしまった(ので、自棄を起こし、ビールを飲んで寝た)。

12月14日(土)「久々の休出・・・の風さん」
 目覚めたらお日様が高かった。ついでに、頭髪が爆発していた。やはり、散髪へ行くことにした。
 散髪へ行くということは、会社の近くまで行くということで、片道、車で小1時間かかる。何のことはない。会社にも寄ることにしたのだ。なぜかというと、昨夜完結しなかった仕事というのは、社長の前で発表する資料作りで、さすがに気になって仕方がなかったからである。本番は来週火曜日の朝8時である。前日の月曜日は、私は有休なので、・・・これは、きわめて乱暴というか大胆というか、決して社長に恨みがあるわけではない(それどころか、小説家である私を応援してくださっているので、感謝しなければバチが当たる)から、ちゃんとやらねば、と思い直したのだ。
 電話で床屋を予約しておいて(入社以来ひいきにしているので、もうかれこれ22年間の付き合いだ)、代車のカローラで出かけた。休出している部下へもケータイから電話しておいた。
 床屋で少し待ち時間があり、持参した文庫を開いていたら、床屋で飼っている白いプードルがフラフラしながら出てきた。黄色いベストを着せられ、耳にはリボンまでつけられているが、足元が危ない。のべつ口をパクパクさせているし、まばたきを頻繁に繰り返している。変だな、と思っていたら、おかみさんが、「心臓が悪くて、今朝死にかけたのだけど、病院へ運んで助かった」と言う。昨年は乳がんで大手術もし、14歳のおばあさん犬なのだそうだ。ちょっと見ると、小さい犬だし、ベストやリボンで子犬かと錯覚する。しかし、教えられてあらためて観察すると、おばあさんが腰を曲げてよぼよぼと歩いている姿に見えるし、顔つきも、歯がなくて口をもぐもぐさせながら、目もしょぼしょぼさせている老婆そのものだった。呼ばれて椅子に座り、鏡を覗けば、私もそれなりの初老の男である。リボンをつけても仕方がない。
 散髪を終えてから出勤し、部下と昨夜の続きをやった。ひと晩たったせいか、頭が冴えていて、良い発表資料が出来た。月曜日、私の留守中に大変更させられない限り、私はこれで、火曜日、社長の前に立つ。

12月15日(日)「悪事のない銀座の夜・・・の風さん」
 半年間ご無沙汰していた新鷹会に出席のため上京した。
 切符はインターネットを利用したエクスプレス予約。例によって(?)コンビニで昼食用におにぎりとウーロン茶を買い、売店でお土産を買ってから新幹線に乗り込んだ。車中では持参の文庫などをゆっくり読んだ。執筆が中途半端なので何となく落ち着かない。東京へ着くとまっすぐ八重洲ブックセンターへ向かった。目当ての古地図を3つ買い、帰りに時代小説の書棚をチェックすると、『円周率を計算した男』と『算聖伝』が並んでいたが、『和算忠臣蔵』はなかった。いずれにしても置いてもらっているのはありがたい。
 夜の遊びの予定はないが、銀座のホテルにチェックインし、荷物を整理してから山手線で新宿へ。どうも精神的な充実感に欠ける。デパートでちょっと買い物をした。
 久々の勉強会で、妙にはしゃいでしまうのも不調の影響かもしれない。来年になったら、ちゃんと出席しよう。
 勉強会が終わると、全員で新宿5丁目にある山珍居(さんちんきょ)という台湾料理店へバスで向かう。そこが新鷹会恒例の忘年会会場である。年々高齢会員の出席が減ってきているので、今は20人を切ってしまった。それでも、台湾料理は抜群に美味く、来年へ向けて盛り上がって終わることができた。ここで、ひとつ特筆すべきことがある。一昨年の忘年会のときに、閉会後色紙を書かされた。恐れ多いことなので最初は辞退したのだが、諸先輩からけしかけられて書いてしまった。ただし、戸部新十郎先生が書きかけてやめた色紙を頂戴して、その続きを書いてサインしたのである。ま、戸部先生との合作とでも言えようか。それが、2階の部屋に飾ってあった。多くの著名人の色紙の中に混じって飾ってあり、照れると同時に身が引き締まる思いがした。この色紙に恥じない働きをしなければならない。
 新宿駅近くの居酒屋へ移動して2次会もした。山珍居で食べ過ぎたので、もうほとんど飲んだり食べたりできなかった。そこを11時で終えて、ホテルへ帰り、さっさと寝た。執筆が不調なので悪い遊びに走る気力も湧かない。

12月16日(月)「社長の前での発表が消えた日の巻」
 7時の目覚ましで起床し、シャワーを浴び、例によって(?)コンビニで買っておいたパンで朝食にし、早々とチェックアウトした。
 午前中は東大史料編纂所である。これは当初予定通りである。今回は初めての史料を出してもらい、読んでみると、素晴らしい内容で感動した。執筆中の長編の主人公が書いたものである(もちろん写本だが)。最終的にはすべてコピーが欲しいが、2万円近くなるかもしれない。今日はせっせと要点をメモしてきた。
 午後は、出版社との打合せの予定だったが、キャンセルしたので、急遽名古屋へ帰り、ワイフとショッピングをすることにしていた。さすがに疲れが出てきて、うとうとしている間にケータイへ会社から電話が入っていた。折り返し電話してみると、私が残業、休出してまで作成した発表原稿が、大幅に修正させられているという。会社に出られないか、という打診であったが、出られません、と答えてしまった。上司にはたいへん申し訳ないが、過去20年間、随分会社のために私生活を犠牲にしてきたという思いがある。自らの名誉やプライドを捨てれば、放棄できることはいくらかある。今回の仕事もそうだ。私がしなくても仕事は回っていく。会社とはそういうところである。
 お陰でワイフと良い買い物ができた。
 さあ。もう待ったなしだ。気まぐれ日記も毎日書くことは難しくなるだろうが、しばらくご容赦を。

12月17日(火)「帰ってきたミッシェルの巻」
 ようやくミッシェルが戻ってきた。
 レンタカーを返すため、ガソリンスタンドで満タン給油した。実に代車で500km走行していた。それだけミッシェルと離れ離れだったとも言える。ただ、さすが燃費の良い代車(カローラ1500cc)だけに、13.5km/Lだったのには驚いた。
 大きくへこんでいたボデーはきれいに直っていた。後部ナンバープレート付近の、裂けていたボデーはそっくり部品交換である。トランクもちゃんと開け閉めできるようになった。左右のテールランプも樹脂部品が割れていたので、交換された。やはりフレームも変形していたそうだ。これは走行してみないと分からない。
 シートに座ってみると、抱かれるように体がフィットした。俺のミッシェルが帰ってきた。アクセルを踏み込むと、カローラでは感じることができない適度な緊張感と興奮が骨髄を突き上げてきた。

12月18日(水)「テレビの話・・・の風さん」
 テレビをほとんど見ない風さんだが、うちでは色々なチャンネルが見られる。お試し期間のためにローカル有線局のコンバーターがセットされたことは先日紹介した(その後も、いけない番組をビデオに録画する余裕がない)。それ以前でも、衛星放送受信契約はしていたので、やや多目のチャンネルが見られた。しかし、うちは私がこんな調子なので、家族もあまりテレビを見る習慣がない(いちおう躾として、食事中のテレビは禁止していた・・・うちでまともな躾はこれだけだな)。
 私がこうなったのは(どうなったんだ?)、就職してからである(テレビを見なくなったということ)。会社勤めをしていたら、ウィークデーにテレビなんて見る余裕があるわけない! 週末は小説家になるための勉強とデートに費やしていたので、ひとりでテレビを見るなんてことはなかった(独身中はテレビを持っていなかったし・・・ただの貧乏か)。
 では、就職する前はどうだったかというと、芸能評論家かスポーツ評論家のセミプロだった。このひとことで、すべてが想像つくに違いない。私が生まれた年は、日本でテレビ放送が始まった記念すべき年である・・・というのは関係ないが。ま、とにかく、テレビっ子であった。親はすぐに「テレビを見ないで勉強しなさい」と言うのが口癖だったが、テレビから学んだことは多かった。山本周五郎を知ったのもテレビである(「ながい坂」は傑作ドラマだったなあ)。「巨人の星」では毎回泣けたぜ。「キックボクシング」の沢村忠の不死身ぶりや、「プロボクシング」の輪島功一のど根性に感動したものだ。
 中でも、やはりNHK大河ドラマは毎年楽しみだった。1年が長かった学生時代には、大河ドラマはまさしく大河ドラマだった。そして、今振り返ってみると、あの大河ドラマは若手の役者を世に出すきっかけになっていたと思える。
紅さんの縁で知り合えたNHK出版のT取締役から、来年の大河ドラマを紹介するムックが届いた。吉川英治の原作を元にした「武蔵」である。主人公の宮本武蔵役は、市川新之助、佐々木小次郎役は松岡昌宏。どちらも25歳である。その若さがいい。恐らく見ることはほとんどないだろうが、大いに期待できる。

12月19日(木)「新鷹会の文庫の巻」
 今年2冊目の新鷹会の文庫が出た。『男たちの凱歌』(光文社文庫)である。帯のキャッチコピーは、「戸川幸夫、西村京太郎、平岩弓枝ほか 長谷川伸一門の絢爛たる執筆陣!」とある。今回は、現代小説傑作選となっている。私たち若手が伸び悩む中、まだこうして新鷹会とか長谷川伸一門といったキャッチコピーが使われるというのは、大いに励みになる。あ、そうそう。キャッチコピーには出ていないけれど、池波正太郎の短編も収録されている。買って損のない文庫である。
 15日の新鷹会の忘年会で、二階堂玲太さんが撮ってくださった写真も届いた。意外と楽しそうな写真だった。やはり楽しかったのかもしれない。私の額に入った色紙の写真もあった。感謝。

12月20日(金)「こいつの分別は?・・・の風さん」
 どうしたら執筆がはかどるか、それを考えない日はない。ありとあらゆる手段を試し(夕べも早く寝て、今朝は4時に起きた)、工夫し、時には開き直り、最後は亀のマイペースになりして、毎日が過ぎていく。ただ時間が過ぎて行くだけではない。急激に老化の坂を下り降りてもいるのだ。肉体的な衰えは仕方がない。外見上の問題であり、世の中を見ても、処置をしない限り(白髪染めとか化粧とかね)、これは自然な成り行きと認めざるを得ない。問題は頭脳の中、精神の中、ハートの問題である。ボケも個人差があるのだろうが、世の中には恐るべき頭脳の力を発揮している人がいくらでもいる。小説の執筆で考えてみても、私のように歴史小説を書いている作家は、ハンパな記憶力では小説は書けない筈である。書いているそばから、書いたことをどんどん忘れているような私は、歴史小説を書く資格がないのでは、と落ち込んでしまう。
 現在心がけていることは、やはりパソコンの力に頼ることだ。パソコンの機能を知り尽くしているわけではないが、そのポテンシャルは理解している。データとして蓄積しておきさえすれば、本人が忘れてしまっても、取り出せる可能性は高い。オリジナル年表の作成とネットサーフィンで得られた情報のデータベース化はしている。もっともっと工夫できるのだろうが、勉強している余裕もない。年末が近いのに、うちの書斎は近頃ごみ箱状態である。
 せめて会社のデスク周辺だけでも、と思い、時間を見つけて、ひたすら捨てている。昔と違って分別処理が厳しくなっているので、捨てるのにも時間がかかる。とはいえ、箱やら袋やらに放り込んである書類を次々に引っ張り出して、暫時思い出に浸りながらも、数分後には捨てる決心をして分別作業に着手する。上質紙、古紙、廃プラスチック、・・・などなど10種類以上に分別廃棄する。私の椅子のすぐ後ろに、色々な書類を突っ込んだ、大きなショッピングバッグが前からあった。今日、そのショッピングバッグの中身がすべて消えた瞬間、恐ろしい光景が目の前に出現した。袋の底に、干からびたゴキの死骸があったからである。調べてみると、3年ぐらい前からの資料が入っていた袋だった。いつのゴキかは知らないが、私はそのゴキの死骸と数十センチの距離で、かなりの長期間、会社生活を送っていたことになる。くわばらくわばら・・・。でも、ゴキというのは、分別するとき何になるのか?

12月21日(土)「餅つきもやる小説家の巻」
 今日は、PTAの行事である餅つき大会の手伝いがあるので、夕べは早めに就寝し、出かける前に執筆をした。
 起床と同時に雨が降っているのが分かった。餅つき大会は屋内になる。実は、昨日、今日と、ワイフが主宰する自宅トールペインティング教室の、簡易作品展を庭で挙行しているのだが、こっちも屋外の展示をすべて中へ変更しなければならない。天候は、さまざまの行事に支障をきたす。
 餅つき大会は面白かった。石の臼でつくのである。初めての経験で、蒸しあがったもち米を臼へ移して、最初にこねてつきやすくするところから、返し、つき、と色々経験させてもらった。臼に湯を少し張って、もちがくっつかないように、冷めないようにする工夫や、杵も適当な間隔で湿らせながらつくことや、返しもただ返すだけでなく、ときには杵にくっつかないように、表面を湯で湿らせるとか、ノウハウも経験できた。おとながやると、意外と早く餅はつけてしまう。子供らにのんびりやらせていると、餅が冷えてしまうので、よく見ていなければならない。7臼か8臼ぐらいついた。全体では22臼ぐらいついたらしい。最後の方は、6年生の男子に何でもやらせた。当然、後片付けも。勉強よりも楽しいのだろう。何でもやってくれた。
 帰宅して昼食を食べ、少し体を休めてから執筆を再開した。
 午後、楠木誠一郎さんから新刊が届いた。『ご隠居さまは名探偵!』(講談社 青い鳥文庫)である。楠木さんの得意分野のひとつで、小学校高学年以上を対象にした小説である。さっそく、次女が読み出した。

12月22日(日)「年も押し詰まってやってくる不幸・・・の風さん」
 目覚めたら、昨日の餅つきの後遺症で腕と尻の筋肉が痛い。
 
楠木さんの本を読み出した次女は、夕べのうちに読破してしまった。面白かったと言うので、今日は読者アンケート葉書を書かせた。タイムスリップしてほしい次の時代も書かせた。戦国時代か大正時代を書いたらしい。
 ま、それはともかく、久々の執筆専念の一日である。自分自身が頑張らねば・・・。
 と、ところが、そうは問屋が卸さなかった。先日できなかった年賀状印刷がどうしても気になって、執筆しながら同時に印刷してしまえ、とワイフのパソコンを立ち上げ、「印刷実行」をかけたら、プリンターが動作しない! あれこれと設定を変更したりしてみたのだが、プリンターとの間で通信しないのである。例によって短気を起こした風さんは、ドライバーのアンインストールをかけ、再インストールしたまでは良かったが、それでも動作せず、そこでようやくあることに気がついた。プリンターは自己診断により、エラーメッセージをランプで発していたのである。それによると、何と、プリントヘッドの故障であった。げげえ〜。この大事な時期に、というか、残り少ない年末にプリントヘッドを修理に出すのかい? いちおう保証期間内なので、無料修理は可能である。だが、直ってくる頃は年が明けている。それだけではない。正月休み明けには原稿を印刷して提出しなければならないのだ。
 結論。明日、いちおう修理依頼は出すが、新品のプリントヘッドも購入することにした。やれやれ。
 というわけで、せっかくの休日が、また、よけいな事で時間を食われてしまったわい。
 それでも、駆け足で執筆を続けたぞ。

12月23日(月)「極端な性格か決断力か・・・の風さん」
 思い通りには行かないのが世の常。プリントヘッドだけを持参したのでは、無料の修理は駄目とのこと(本体とのセットで初めて保証の条件を満たすとのこと)。そうかあ。そりゃ、そうだよなあ。不幸は重なるもので、やはり修理には相当期間要するし、予備のプリントヘッドを買うのもいいが、在庫はないし、第一、それ単品で販売しているか不明、ときた。そうなのだ。今日は、世の中は天皇誕生日で祝日なのである。明日確認してもらうとして、これでまた1日過ぎてしまうのだ。つらつら考えながら、最新のカタログを見ながら、展示してあるプリンターを眺めているうちに、これは決断してしまうのが、最も時間の節約になると判断し、手頃な(と言っても、高画質で、インクカートリッジを共用できるタイプの)プリンターを購入してしまった。
 話は、会社生活へ戻る。来年から新しい仕事を担当するので、午前中と午後、それぞれ工場へ出かけ、現地視察や会議に出席した。風さんは管理者だが、一人の担当として頑張らないといけない状況であることが分かった。それで、あれこれと行動計画を練った。長年してきた業務なので、部下へ押しつけるより効率的だろうし、押しつけていたのでは山積する問題を解決できないと思う。とにかく、来年の仕事が楽しみだ。
 帰宅時に購入したプリンターをワイフに見せたが、何も言われない。昔は、「また無駄な物を買って・・・」と白い目で見られたものだが、近頃は、ワイフも私と同様に買い物癖がついてしまったので、「やはり買ったのね」と涼しい表情である。我が家の破産は近いであろう。
 もともとのプリンターが本当に壊れているのか、最終判断するために、ノートパソコンをつないで「印刷実行」してみた。うまく行かなかった。それで、プリンターを新品と入れ替えた。セットアップに多少時間を要したが、だいぶ慣れてきたな、こういうことに。うまく動いたので、「壊れないうちにやってしまえ!」ということで、年賀状印刷を決行した。
 結局、深夜までかかって、年賀状印刷が終了した。ミスは1枚だけである。
 ということで、執筆が出来ず! わお〜!

12月24日(火)「クリスマスイブの夜は一転して・・・の風さん」
 来年からの会社での新しい仕事のために、遠隔地にある製作所へミッシェルで出張した。天気が好いので、ドライブが実に気持ちよい。
 とりあえず新しいプリンターを買ってしまったので、予備のプリントヘッドを購入する必要性がなくなったが、販売店から「8千円弱ぐらいで購入が可能です。でも、在庫には限りがありそうです」という連絡があった。一方、知人が教えてくれた特急修理センターへ何度か電話を入れたのだが、話中でとうとう確認できなかった。最早、壊れたプリンターを修理に出している余裕もなくなってきた。・・・と言っている間に、新品プリンターが壊れたらどうする?
 今日はクリスマス・イブなので、早めに帰宅した。
 夜は特別のごちそうで、いつも執筆があるので夕食時には飲まないワインを2杯飲んだら、急激に酔いが回り、あえなくダウン。そうか。夕べも執筆こそできなかったが、年賀状印刷などで就寝が遅かった。
 午前1時に目が覚めた。ソファーの上だった。やけに喉が渇いていて、水分を補給した後、シャワーを浴びたら元気が出てきた。遅れを取り戻す意味でも、こりゃ朝まで執筆するしかないな、と書斎へこもった。

12月25日(水)「死にかけたかもしれないの巻」
 そのままずっと朝まで書斎で頑張った。執筆だけでは集中力が低下するので、途中で気まぐれ日記を書いたり、女の子にメールを書いたり(誰かって? たくさんいるわい!)、そんなことをしながら、白々と朝になった。多少は進んだぞ。
 いつもどおりに愛車のミッシェルで出社。半徹夜明けでも外は気持ちいい。
 午前中にたまっていた仕事をワーッとやって、午後からは職場の席移動である。これは年末の恒例行事でなかなかの大仕事である。肉体労働でもある。大物が片付いた後、残ったトラブルはネットワークの接続不良である。ネットワークは床下を通っていて、ほとんどのポイントで接続変更が起きる。たいてい物理的な問題である。私のパソコンも接続不能となり、配線交換などをやって、どうにか夕方までにつながった。
 夕方の1時間、これまでの私の室がほぼ解散となるので、コーヒーとお菓子で最後のミーティングをやった。私にとっては楽しい2年間だったので、感謝の言葉を述べたところ、同じように楽しかったと言ってくれた部下が多かったので、私もうれしかった。
 室ミーティングがお開きになり、職場へ戻ろうと立ち上がったら、激しい立ちくらみと吐き気が襲ってきた。一瞬倒れそうになるのを必死でこらえ、奥歯をかみしめながら席へ戻った。自席に座りながら最後の身辺整理をしたのだが、どうにも目が回る。気分が悪い。冷や汗が流れ、動悸もしてくる。そこで、席を立ち、あるところへ避難して、1時間ほど安静にしていた。寝不足ならすぐ眠ってしまうのだろうが、眠れない。異変である。気分が直らないまま席に戻り、最後の仕事をこなし、有休届けを書いて、退社した。何人かが声をかけてきたが、ろくに返事もできなかった。
 外は冷たい風が吹いていた。コートの襟を立て、ミッシェルまで急いだ。寒さがこたえるわけでもなく、熱が出ているわけでもないので、風邪ではない。ミッシェルに乗り込んでエンジンをかけ、すぐにヒーターを入れた。そうして、30分ぐらい休んでから、そろそろと出発。どうにか運転はできた。
 帰宅して、生卵1個と朝鮮人参茶を飲んで寝た。

12月26日(木)「死にかけた翌日は・・・の風さん」
 約10時間の睡眠をとった。
 何とか起床した。朝食後、史料調査を開始した。勘を取り戻さねばならない。それほど根を詰めたわけでもないのに、午後から疲労感が襲ってきた。書斎で少し仮眠した。
 今日はひたすら史料調査で終わってしまった。従って、執筆はほとんどできず。

12月27日(金)「執筆再開は死の予感と背中合わせの巻」
 睡眠時間5時間で起床。昨日の仮眠があったからこれでいいのかもしれない。
 今日は、あまり調査にこだわらずに執筆に比重を置いた。いくらか進んだ。外へ出る用事もあったのだが、ペースが狂うのでやめた。
 書斎には窓が二つある。納戸を改造した部屋なので、どちらも小さな窓だ。景色に動きはあまりない。今日は、朝から何度も雪が降った。大粒の牡丹雪みたいなのが、向こうが見えなくなるほど多く降った。あられのような丸い粒の雪がにぎやかに地面ではねたりもした。少し暖かくなると、霙(みぞれ)に変わって寂しく落ちてきた。
 珍しく変わる窓外の風景を眺めながらも、執筆が加速しないものか、とぼんやり思う。だいたい1時間半に1回くらいの休憩をとりながら、ぶっ続けで執筆である。疲労が消えるとすぐ襲ってくるのは運動不足だ。こんなことやってると、やはり長生きできないかもしれない。ふとそんなことを思う。

12月28日(土)「マイペースは今日までが限界の巻」
 昨夜の睡眠時間は7時間。
 書き続けているので、枚数は増えている。しかし、時代が進まない。ストーリーが進展していかない。やはり、これが私のスピードなのだ。あらためて愕然とする。遅筆作家を返上しなければ。
 私自身の年賀状印刷は終わったのだが、今頃になって家族がパソコンで年賀状作りをやっている。執筆中の私の後ろでワイワイ騒ぎながらやっているのだ。思い切って新しいプリンターを買っていなければ、こんなことはできないハズなのに、誰も感謝している気配すらない。廊下へ出してある故障のプリンターを早く修理に出したいが、精神的なゆとりがないと、外出する気にもなれない。そのために貴重な時間が失われるのだから。今はただおしまいにたどり着いた時の充実感を夢見て書き続けるしかない。

12月30日(月)「受験生モードが続く・・・の風さん」
 昨日はついに全体の章構成が決まった。何を今ごろ、と思われるだろう。実は、ある章の中のある節で、これまで延々と書き続けていたのだ。今でもその節は終らないでいる。これを3つの節に分解し、全体の章の割り振りを再構成してみたら、ここまではうまくおさまることが判明したのだ。そういう意味で昨日は前進があった。
 今日も、全く外出せず書き続けた。こう書いていると傑作が出来つつあるように思われる人もいるだろう。残念ながら、まだ第1稿を目指しているに過ぎない。私の場合、第1稿が出来ても、完成度は50%ぐらいではないか。その後の手直しが大事である。それにしても、我ながらよく根気が続くものだ。唯一の敵は老化現象なので、きっと老化と戦っているのだろう。無駄な抵抗だとそのうち気付くかもしれない。そのときは死ぬだけか。
 運動不足の心配は、就寝前の簡単なトレーニングで不思議と防止できているようだ。
 とにかく、小説家鳴海風には大晦日も元旦もない。受験生モードが続くだけだ。

12月31日(火)「執筆で年が暮れた風さんの巻」
 5時間くらいしか寝ていないのに、7時に目が覚めた。サラリーマン病かはたまた老人性早起き病か。新聞を取りに外へ出てみると、隣の空き地に霜が降りている。輝く朝だ。
 行けるところまで行け、とばかりに執筆スタート。すぐに寝不足と頚椎の障害で、頭痛や肩凝りに悩まされる。だからと言って仮眠する気にもなれない。焦りが先行しているのだ。さすがにつらくなり、夕方首から肩の痛みをとる薬を服用した。正直なもので、少し楽になった。
 それにしても今日は実に好い天気だった。
 世界的にはいつ大きな戦争が起きてもおかしくない状況だし、着々と地球環境は悪化している。それなのに、この抜けるような青空を見ていると、これから先にはきっとすばらしい時代が待っているような気がしてくるから不思議だ。いつの時代でも将来の不安を抱えていた。そうして現在があるのだ。宇宙の歴史から見れば、地球に生命が誕生し、人間の文明が栄えている期間など一瞬なのだろう。それなのに先の心配をするというのは、変なことだ。せいぜい心配できても100年ぐらい先なのに。ちまちました先の心配をするよりも、今を精一杯生きることが大切だろう。しかし、その今を精一杯生きるということがどういうことか分かっていないことこそ問題なのだが。
 夕食に早々と年越しそばを食べ、11時まで執筆した。最後はめまいと頭痛でフラフラしてきた。やっぱりやり過ぎかな。やや不調を感じてきたノートパソコンのエラーチェックをかけている間に入浴して、出てきたらパソコンが死んでいた。エラーメッセージによると、「OSの更新による不具合」らしい。心当たりはある。くそ。
 冷やで一杯やりながら新年を迎えた。きっといい年になる。してみせる。酔った頭でゆらゆらと考えた。

03年1月はここ